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小池喜孝「常紋トンネル」 [文庫]

2011年10月24日の日記

常紋トンネル.jpg

とうとう,長年行こうと思っていた,常紋トンネルへ行ってきました。

私は,いわゆる「鉄ちゃん」なので,鉄道写真を撮るのが趣味で,今,一番ホットなのが石北本線のたまねぎ列車です。DD51を前後に連結し,コンテナ貨車を11両連結して,新旭川~北見間を1往復しています。風光明媚な北海道の山奥を力強く走るディーゼル機関車の勇姿を一度,記録しておきたいと思っていました。

その昔,まだ国鉄に蒸気機関車が走っていた頃は常紋越えの難所をD51や9600の重連で走り抜け,多くの鉄道マニア達がレンズの砲列を敷きました。さすがに,私の歳ではそんな頃は小学生で,写真なんて撮ることはできませんでしたが,常紋峠というと私には魔法の呪文のように聞こえました。

しかし,長じて大学生になり,大学の図書館でこの本を見つけて驚愕しました。

1970年,2年前の十勝沖地震('68.5.16)によりレンガ造りのトンネル壁面が崩壊し,その修理を行っていたところ,レンガ壁の奥から立ったままの状態で埋められた人骨が発見され,後頭部に鈍器で殴られたような跡があることから,殺されたか,意識を失ったところを生き埋めにされたものと推定されました。以前から,このトンネルには人柱伝説があり,走行中の列車の前に血まみれの男が現れるなどの,幽霊が出ると言う噂が絶えませんでしたが,その裏付けとなる証拠が見つかりました。

こういった話を読んで,数日,夜も眠れないほど怖かったのが事実です。

このトンネルは1912年から3年がかりで建設され,常呂郡と紋別郡の境にあることから常紋トンネルと名付けられました。石北本線・生田原~金華(かねはな)間にあります。総延長507mで,当時の技術でももっと長いトンネルを造ることができましたから,3年もかかっているのは難工事だったことの証左です。

人里を遠く離れた山奥の工事現場ではタコと呼ばれた労働者が活用され,劣悪な環境で過酷な労働を強いられ,脚気も蔓延したため,病死者が絶えませんでした。のみならず,病気になっても医者は診察をせず,現場に寝かされているだけで,死ぬのを待つのみ,と言う状況で,さらにはまだ息があるのに穴を掘って埋める,などという状況もあったようです。過酷な環境から脱走者も後を絶たず,つかまると見せしめのためリンチされ,挙げ句の果て殺してしまうと言うことも横行していたようです。

結局,この現場で百数十人という尊い命が奪われ,また,歴史の彼方に葬り去られようとしていました。

これらのタコと呼ばれた労働者達は主として本州の東京や大阪などで周旋屋が口巧みにだまして北海道に連れてきたもので,その際の運賃や食費,遊郭などでの遊興費はすべて労働者の借金とされ,のみならず北海道の工事業者から周旋屋に斡旋料が支払われ,その代金は労働者の負担とされたため,1人あたりのこれらの借金は数百円に上ったようです。

これらの借金のカタとして働かされ,毎朝,3時から日没まで12時間以上の労働と,粗食,暴力による支配に堪えねばなりませんでした。服装も冬でも赤いふんどし1枚,靴はなく,ボロ切れで覆うだけ,と言う状況だったようです。夜はタコ部屋と呼ばれた宿泊所に鍵をかけて監禁され,脱走することは不可能に近い状況でしたが過酷な環境に耐えかねて監視の目を盗んで脱走する人が多かったようです。

一応,給料として1日1円50銭などの給料が支払われたようですが,半分くらいを食費などの名目でピンハネされ,実際に借金を返していくのは容易ではなかったはずです。このあたり玉の井と呼ばれた遊郭の遊女たちの状況に似ています。正規に契約で雇用した信用人夫は人件費が高くて使えず,主としてタコ労働者によって土木工事が行われたようです。北海道の古い鉄道や港湾,道路,灌漑用水路などの工事には全てタコ労働者が使われていると考えて差し支えないようです。戦時中は,中国,朝鮮などから強制徴用された人も加わったようです。

警察も,工事自体が国の発注ですし,土建業者が法令違反をしていても見て見ぬふりを決め込む状況だったようです。そもそも警官自体,業者が頼んで派遣してもらっていて,それもタコ労働者の管理が目的という状況ではタコの保護なんてことはなかったでしょう。時代も戦争に向かうと国策として工事が進められ,人権なんてかけらも省みられない状況が続いたと思います。

戦後,GHQの指令によりタコ部屋が解散させられますが,1947年まで続いたタコ部屋があったそうで,驚かされます。

正直なところ,リンチや暴力が横行し,死者が続出したという状況では幽霊が出ても不思議ではありません。実際,先の機関士達に限らず,信号場勤務の駅員達もひとだまを見たり,家族が自殺したりすることがあり,信号場勤務は嫌がられたようです。

信号場自体は1999年に廃止になっており,今はポイント部分を雪から保護するスノーシェッドと,保線区の詰所?らしき物が残るだけの廃墟となっています。おそらく,1983年にはCTC化されていますので,信号場も無人化されていると思います。

CTCというのはポイントや信号の取扱いを各駅ごとではなく,どこかで集中して一括管理するもので,当時,全国の国鉄で実施されました。それまでは各駅で取扱いをしていましたので,どんな山奥でもこれらの設備がある限り,係員が配置されていました。正直なところ,常紋信号場に寝泊まりしなきゃいけない駅員さんは大変だったと思います。それ以上に,ご家族も周囲に一切民家がないところでヒグマやキツネが徘徊するような場所で生活しなければいけないというのは本当に大変だったと思います。

と言った次第で,北海道随一の心霊スポットともなっており,鉄ちゃんのみならず,心霊マニアも訪れることがあるようです。彼らはここで肝試し,と称してキャンプしたりするそうですが,幽霊はともかく,ヒグマ出没地帯なので,絶対にテントを張ってキャンプしたりしてはいけません。実際,特急「オホーツク」の車内でJR北海道の車内誌が置いてありますが,今月のを読むとヒグマの特集になっており,1960年代まで,春に冬眠明けの寝ぼけたヒグマを狙って一斉に駆除が行われていたものの,動物保護の観点から実施されなくなり,それにともない人をおそれない熊が現れてきているようです。新世代ヒグマと言うらしいですが,そういう意味もあって,むやみに熊出没地域へ行くのは危険です。

この本は,もちろん,幽霊譚や怪談ではなく,こういったタコ労働者達の実態を明らかにするとともに,克明に証言や記録を集め,後世に彼らの悲劇を伝えようとしています。北海道開拓の裏面を明らかにし,我々後世に生きる人間に残酷な史実を伝えるとともに,極めて重大な教訓を与えてくれます。

残念ながら,20年ぶりに読もうかと思ったら既に絶版。近くの市立図書館へ行ったら閉架所蔵で,しかも書棚整理中とのことで貸出不可。しょうがないな~ということで古本屋さんで買うことにしました。アマゾンのマーケットプレイスで出店しておられた小樽のネット書店で買いました。朝日文庫のもので,私は単行本じゃなく,文庫本を集めることにしているので助かりました。

なんで文庫か,というと,小さくて読みやすいというのが第一ですが,もう一つ,単行本より後に出版されるのが普通(今じゃ同時なんてのもありますけどね)なので,修正が加えられていたり,後書きが追加になっていたりします。実際,この本も後書きが追加されていました。それだけ丁寧に編集されていることの証でもありますね。

ただ,こういった本が文庫や単行本も絶版になっているのは残念。出版社は絶版とは言わず,品切れ,と言うのですが,今はキンドルとか,電子書籍が始まっているので,モノとしての本じゃなくても,電子書籍として流通させることも可能なはずですので,ぜひ,検討していただきたいと思います。

常紋トンネルs.jpg 常紋トンネル(南口)

追悼碑.jpg 金華駅前の追悼碑

貨物列車の撮影を終わって,追悼碑でタコと呼ばれた労働者たちの冥福を祈ってきました。

 


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